Thisコミュニケーションは「情けは人の為ならず」な作品だったのかもしれない

完結したThisコミュニケーションについて考えていると、以前なんかのコミュニケーションについて書かれた本に「情けは人の為ならず」の諺も記載されていたことを思い出した。

「他人への情けはいずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味だが、コミュニケーションという観点で見ると「相手へ自分の心を砕き、時間を費やして向き合うことで円滑なコミュニケーションと親密さへ繋がるという形で自分に返ってくる」という風に考えられる。

この点で見ると、ハントレス達とデルウハ殿のコミュニケーションは、正にハントレス達にとってこの諺が当てはまるものだと思った。物語開始時点で、ハントレス達は大人達に反抗し、ハントレス達同士であってもまともなコミュニケーションが取れていない状態。そんな中、デルウハ殿に従ってイペリットを倒すことになった為、必然デルウハ殿と接する時間が増えていった。

勿論だからと言って一朝一夕で円滑なコミュニケーションが出来るようになるわけではなく、まずは点呼に答えるようにする所から始まっている。何よりデルウハ殿は「愛だの情だのは勘違い」「話し合いで相互理解なんてもっとの外」と考える上、都合が悪ければ記憶を消して理想的な状況を作っていく最低殿である。1巻からして「いつかの台詞、俺が言ったことになんねぇかなぁ~」を実際にやってみたする男である。

が、都合の悪い部分の記憶は消えているとはいえ、研究所内で一番長い時間コミュニケーションを、それも面と向かって取った相手がデルウハ殿なのもまた事実で、それが無ければよみの最後の質問は出なかったし、単なる反射であろうと勘違いだろうと、その反応を心の支えにする程大切なものとして受け取ることも出来なかった。

認められたい、愛されたいという欲求を抱えてはいたものの、見ず知らずの人間にいきなりそんなことを言われてもグッドコミュニケーションになるはずもない。これまでコミュニケーションしてきた、デルウハ殿に情けを掛けてきた時間があったからこそ、「Thisコミュニケーション」として彼女達に恩恵が返ってきた。

そう考えると、最低ではあるがハントレス達にとって、外からやって来たのでお互い真っ新な状態からコミュニケーションを始められた相手であるデルウハ殿は救いだったのかもしれない。最低ではあったけどね!

ちなみにデルウハ殿にとっても、研究所の人間達と決定的な不和を起こさないようにしていたことで「1日三食」にありつけている為、こちらもコミュニケーションによる自分への恩恵が返ってきている。もしもコミュニケーション不能の男だったら、ハントレス達がいても尚、食糧の為にいきなり研究所で札戮ショーを開催してたかもしれませんからね。

「Thisコミュニケーション」とは、デルウハ殿とハントレス達が「情けは人の為ならず」を実践していたことで、双方に恩恵が返ってきていた話であったと、自分は思います。


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Thisコミュニケーション 11

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