単行本派なる者達の主張が通る時代は既に終わっているという話

先日、まーたtwitterに湧いた「単行本派」なる人の主張で某大御所と集英社の騒動を思い出したのか、前に書いたとある記事のアクセスが増えていたので、再度この主張について個人的な考えを書いてみようと思う。

「本誌派は単行本派にネタバレ配慮をするのがマナー」という投稿に様々な声が集まる(まとめたのは別の人)

今回の発端になった人はわざわざ画像4枚分の絵を描いて自己の主張を説明していますが、トレンドや検索でネタバレ踏むから止めてくれ、こういう風に配慮して呟き方に気を付けるのがマナーですとかほざいてます。本誌を読んでもいないのに検索するとか馬鹿じゃねーの(嘲笑)止めるのはあんたがtwitterを使う事なんだよなぁ。

そんなに自分が単行本読むまでネタバレをネットで触れるのが嫌なら、一切ネットを絶って過ごしてろ!何でお前の都合に合わせなきゃならねぇんだ、お前は何様だ?単行本を読むまで我慢している自分がえらいみたいな謎の思い上がりが隠しきれてないのがムカつくんだよ。

あの騒動の時も漫画家や編集者が自ら、自粛なんてせずに感想を書いてくれって言ってたのもあってか、今回もこの人物の主張は殆ど肯定されることもなく一蹴され、24時間も経たずにツイ消しからの鍵垢コンボを決めて篭もってしまいました。なのでもうこの人物についてはどうでも良いとして、こういう騒動の度に感想歓迎の声明を出さなきゃいけない人達は大変だ。

今や雑誌は勿論、作品ごとに垢が存在し作者も含めて積極的に本誌の発売や掲載話の紹介等をするのが当たり前となったこのご時世、本誌や最新話の中身について人々が語り合い、そうやってトレンドに乗って注目され知名度が高まり・・・のループが非常に重要になったのに、まだこんなのが定期的に湧いてくるのが不思議でなりませんね。

半年ROMれ

・Twitterを使うのは個人の自由

・そこに何をどう呟くかも個人の自由

単行本派なる連中ってこの大前提忘れて、自分が勝手に週刊連載や月刊連載の作品を最速で読む機会を捨ててるだけなのに、たまにそこから規の手順を踏んで新の話を読んでる人間に、さも自分勝手な基準で自分の主張が正しいかのように水を差す人間が出てきて、個人的に非常にムカつくんですよね。究極的に言えばネット使うな、これで全て解決。週刊誌や月刊誌を読む為の僅かなコストすら払うのが嫌ならね。自衛が出来ないならROMれ。

しかも前述したように、今や編集社や作家が最新話について宣伝するのも当たり前、日付が変わると同時に大半の雑誌は電子版も配信されて読めるのは当たり前、作品によっては無料更新も当たり前。フォロワーへの配慮というのが生まれるのもまた自分のTL構築によるものなのでしょうが、最新の話を読んでTL上で盛り上がるのを、今や作品単位で個別に垢が作られて、供給側が推奨するように発信する時代になっているのです。

要するに、こいつらの主張は供給側が否定している。そんな時代に単行本が発売するまで読まないとかいう謎の縛りを自分に設けて、それが崩れるのが嫌だからお前ら呟き方に気を付けろとか、営業妨害に等しい身勝手極まりない我儘ですね。公式に主張が否定された以上、今後も同じことを主張する馬鹿は現れるでしょうが、その考えが主流になることは絶対に無いでしょう。

そもそも「ネタバレ」って何なんだろうなぁ

自分もこれまでブログで書いた感想やニコ動にうpした動画とかで配慮したこともありましたが、「ネタバレ」なる言葉の定義が、マジであやふやだよなぁと思う次第。感想とネタバレの違いが脳内にしかないのに説明しない原作者がいるように、この言葉の意味がふわふわし過ぎてる。

多分こういう連中にとっての「ネタバレ」という言葉のニュアンスは「自分が楽しむまでの間に展開を知ってしまう事」「正式な公開の前に漏れた内容」辺りなんだろうけど、前にも言ったが発売日や公開日を過ぎて公式に提供された内容に触れて書いたものは「ネタバレ」と呼ぶのだろうか。それはただの「感想」だと思うし、感想に付随して触れる内容を「ネタバレ」と言われたら、感想なんてものは成立しないと思うのだが。正規の手段で読んだ感想をネタバレとかいちゃもんつけられたらたまらんよ。

しかし、私が考えるこの「感想」と「ネタバレ」という定義も人によっては違うかもしれないので、面倒くさいと思う次第である。

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