ガールズ&パンツァー リボンの武者 放火の件について意見を申してみる

さて、今更ですがリボンの武者も6巻が発売しました。普通の感想等はネットに溢れていると思うので、自分は例の放火についての意見を書いてみる。補填についての話も載ってたしね。

あくまで、放火について「だけ」の意見です。アニメとのキャラの違いや作風への違和感とかそういうのは今回触れていませんのでお間違えなく。

今更放火「程度で」ガタガタ言うのはおかしい

正直言って、静が放火したのが何で荒れる要因になったのか、私は全く理解できません。

この作品における戦いは戦車道に非ず、戦車戦なり。

タンカスロンは10トン以下の戦車に限定される以外、ルールはない。そして試合中の事故や負傷はギャラリーや選手も自己責任

ルールに照らし合わせれば、いくら村だろうと民家だろうとましてやそこに人がいようと、タンカスロンのフィールドである以上は静の行動には何ら問題はない。

そもそもリボンの武者という作品は、1話の時点からわざとギャラリーの傍を戦車で爆走したりしているわけでして。危険だ犯罪だ言うのなら、連載当初から言ってなきゃ道理に合わんのです。

大洗ではペイント弾使用とはいえ民家の中を砲弾が通過したり、人がいる民家をぶっ壊して走り抜けたり。これまでにも危険に見える描写、と言うより言い換えたら現実では明確に犯罪だろう、というか一歩間違えたら傷害致死だろうというシーンはいくらでもありました。

だというのに、何故放火の件「だけ」が特別荒れるのか、本当に理解出来ません。これまでの他の行動は危険ではないし、犯罪でもないとでもいうのですか?

ガルパン世界は完全なるフィクションです

正直言いまして、あの放火についていつまでもグチグチ言ってる人達は、現実とガルパン世界の区別がついていないのではありませんか?

というより、ガルパンの世界は学園艦や戦車道に謎カーボンと、現実と大きく乖離した部分が前提として存在する現代日本が舞台。そしてタンカスロンという、現実ではあり得ない競技が行われているのがリボンの武者。

それが大前提としてあるのに、それを無視して現実のルールと感覚で放火について考えているからそのような発想になるんじゃないでしょうか。

これについては、例のシーンでの周りの反応を見れば分かりますが、

おばさんA「何て野郎だ」

おばさんB「はしたないことを!」

ダー様「焦土戦術なんて使うの?」

ヤイカ「この程度で喚くとは戦車道は温い」

・・・と、誰も放火そのものについては人や建物の心配をしていないし、犯罪だとも口にしていないのですよ。

結論

ガルパンの世界では、タンカスロン中の放火は、「はしたない」という言葉で済まされる程度の行為なんです。それを現実の世界の常識で計るから訳が分からなくなるんです。

ガルパンで許されることだけど現実では許されないことをしているから無理だという人はもう読むのをやめた方が良いでしょう。その前提を頭から取り除けない限りどうしようもないですし、漫画の物語はパラレルのお話でアニメ正史には組み込まれませんから、存在を忘れても問題はありません。

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コメント

  1. さささ より:

    例えば4話の旅館突っこみは試合中における事故のような二次被害でしたが、放火は明らかに「わざと」火を付け被害を生み出した部分
    あと公式の戦車道の試合は被害が出ても全保証されていますが、タンカスロンは非公式であり、この放火回で荒れた時には「非公式の戦闘で弁償も保証されてないのに、故意に民家を放火した」とヘイトを買う要素が積まれてしまったのが原因かと
    リボンでは後付けのように弁償してますが、まぁ一度荒れた作品はもう色眼鏡が付いてしまうのでしょう