このプレイ日記も、残すは最後の2日のみとなりました。長かったようで短いような。てわけで、まずは99日目から。
99日目
いつものように散歩を始める3人。すると、クルミが今までに倒れた時の様に突然走り出してしまう。マズイことに、クルミの姿を見失ってしまいました・・・
クルミを発見したのはナオの家の近く。しかし、クルミは突然目の前で倒れます。その体からは血の臭いがしていました。
クルミは、これまで見ていた空想の世界がウソの世界であることを自覚しましたが、彼女はウソのままでいいと叫びました。ホンモノの世界は、大好きな人達が居なくなってしまう世界だから。そんな世界は、彼女の望みではなかった。
運び込まれ、病室で横たわるクルミの前に、アキガワとクルミの両親がいました。投薬治療自体は成功していたと、アキガワはクルミの母に説明します。けれど、それによる情報量の増大に対する拒絶反応が、遂にクルミの生死すら危ういものにしてしまったということらしい。自分達が勝手に望み、そしてアキガワの目的に合致したが為の、本人の望まぬ人体実験。クルミの両親は、遅過ぎる後悔に苛まれました。
その頃、サンゴにナオからの電話が。ナオは、人面カラスを見たあの日から、明日でちょうど100日目になることに気づきました。クルミが明日死ぬかもしれないことをサンゴに話しますが、「私には関係ない、現実を見ろ!」とサンゴは電話を切ってしまいました。
クルミは何故倒れたままなのか
クルミは物語開始当初は「子ども」でした。倒れた際に血の臭いがしたことからも、99日目が初潮であった可能性が高い。50日目のアキガワの説明からも、ホルモンバランスを変調させて生理を促した?と考えて良いのかな。
しかし肉体的な大人への変化に伴い、精神的にも変化が訪れる。それは肉体的にも精神的にも、子どもであることの終わりを意味します。
50日目・75日目・99日目の計3回クルミ視点で見た妙な光景は、言わばクルミの心象風景というか、本来クルミの中には無かった現実の重く辛い光景が形成されていきそれを拒絶していたことの表現で、99日目は遂にそれを受け入れられず、クルミの中に確立しかけた現実のビジョンが崩壊したと解釈しています。
徐々に現実を認識していく中で、彼女は気づいてしまったのでしょう。現実は、自分が思っているような綺麗なものではないことに。
万人が自分を好きなわけではないし、自分が好きな人が自分を好きとは限らない。自分が他人を嫌っていなくても、他人は自分に悪意を持つ。
認識した現実と自意識のズレに苦しみ、自分の存在が大好きな人達を悲しませ、その事実に更に苦しむという悪循環。少なくとも75日目には、この事実にクルミは気づいていました。
目を覚ませば、もう今までのように生きていくことは出来ない。あまりに辛い現実を、真実だと認め、その中で生きていくしかない。目覚めたら最後、子どもの夢は終わる。それに耐えられなかったクルミの選択は、目を覚まさないことしかなかった。つまり、現実を生きることの拒否です。
正しいことが正しいとは限らない
彼女にとってのウソの世界とはつまり、超常的な存在が当たり前にいる世界。そこにいる彼らは歳を取らないし、クルミの望む限りクルミの傍にいる。彼女にとってはそれが当たり前の為、命、つまり死を理解していない節があります。というより、彼女にとっては生者も霊もそこにいるのが当たり前である為に、区別している様子が見られません。
対して、ホンモノの世界=現実では、誰だって歳を取り老いて死ぬし、進学や就職など色んな理由でクルミの元から去っていきます。それは両親もコウ君も、ナオもサンゴもメロスも例外ではありません。現実では、いなくならない存在などあり得ない。
大好きな人達も、いつかはいなくなる。それは本来、人として当たり前のこと。しかし、クルミにとっての普通と、常人の普通はかけ離れていました。そのかけ離れた人間を、無理矢理普通にしようとしても、上手く行くはずがないし、そもそも、本人の意志を確認していない。
シイナクルミは宇宙人という表現は、哀しいかな間違いではなかった。悪意が無いが為に悪意を向けられる少女、それが彼女を端的に表す言葉でしょうか。