さて、7/18と19に再び共通イベント。放課後・夜と朝・昼・夜の5回イベントがあり、3人それぞれの視点で進みます。勿論3人分見るべし。そしてここから残り25日になり、学校シーンもがらりと変わります。
クルミの場合
散歩を始めてすぐに、6月と同じようにクルミが倒れてしまう。クルミ視点はあまり前回と変わりませんが、タケヒコ先生とアキガワのUFOを例えにした論議がとても深い。
タケヒコ先生は、アキガワの考えは一つの答えに拘り過ぎていて、柔軟性が欠けていると主張する。つまり「人の数だけ脳があって、モノの捉え方も脳の数だけあるのに、何故自分の研究が全ての脳に等しく効果があると思っている?」と。そもそもクルミは患者なのか?自分で自分がおかしいと言ったのか?と、治療自体が不要という考え。
対してアキガワは、タケヒコが楽観論で考えていると主張する。一定の効果が出ているのは確かで、自分の方が役に立っていると。
クルミが病気か否かという前提があり、その点において決して両者は譲らない。結局平行線のまま終わりますが、どちらの主張も考えも間違いではない。それについてはここではっきりする。
目が覚める時のパノラマビューでは、作中で唯一ナオの顔がはっきり見えます。また、ナオとサンゴの視点の場合は目が覚めた時、クルミが現実を理解し始めたことを示す台詞が聞ける。この時、母親だけ腕を組むのが細かい。母親の望んだ治療の効果が、クルミに出始めていることを示しています。
・・・まぁ、最終的な結果を見れば、命を奪う治療なんてクソ以下ですが。7月に入った後、母親は今まで以上にヒステリックになっていて、宿題をやり終えるまで監視してたりなりふり構わなくなっていますから、ある意味本人にしたら報われたような部分はあるのかもしれません。
ナオの場合
一方ナオは、クルミが倒れた日の夜に父親が帰宅しておりました。とはいえ、姿自体は見えないけど。
というわけで翌日は3人で食事しようと提案されましたが、見舞いに行ったクルミが目を覚ますまで病院に居たのでせっかくの団欒の機会は失われました。
が、帰って来たナオをお母さんはいつものように優しく出迎えます。「反抗期を置いてきちゃったのか」という序盤の会話を思い出せば、お母さんの反応にも納得出来ます。
これまで親に対して心配や不安を見せまいとしてきたナオが、今回は自分のしたいことを優先した。それも、友達のお見舞いという理由で。自分達との約束はふいになったけど、自分の意思を優先したことをむしろ嬉しく思っているかもしれませんね。
サンゴの場合
ナオと一緒にお見舞いしたので、半分以上はナオと共通。しかし、サンゴの場合は自身の独白が多いのが特徴。
6月以上に、ナオとクルミの関係、自分とナオの関係について、悩み苦しんでいる姿が見れます。これ以降の噂の相談等ではサンゴが微妙な反応を示したり、「願いがかなう楠の噂」では問題行動を起こしたりと、よりその悩みは深刻化します。
これまでずっと表には出さずに誤魔化し続けてきた感情が、段々と誤魔化せなくなっていますね。
子どものままではいられない
割と6月のイベントに比べたら驚き等は少ないイベントですが、三者三様に子どもから大人になろうとしているのが見受けられますね。
・・・もっとも。それが、誰にでも必要なことではなかったのが不幸なのですが。