目的の為の犠牲 コラテラル・ダメージを見ました 感想

昨日の午前中にプレデターを見たら、1本だけでは満足できなくなってしまい、昼から更にコラテラル・ダメージとトゥルーライズも借りて見てしまいました。筋肉の魔力ってスゲーですね。

いつもより若干毛色の違うシュワちゃん

この映画でシュワルツェネッガーが演じているゴーディー・ブルーワーはロサンゼルスの消防士。いつものような元軍人とかスパイとかそういうのではないので、銃は撃たない。拳銃の一発すら撃たない。

銃を奪い取って応戦なんてこともなく、いつもの映画なら確実に皆殺しにしてるモブのゲリラ兵士達からも逃げるしかないという、珍しい光景が。代わりに消防士の知識とスキルを持って、何度も爆発を引き起こします。

やることが派手だねぇ。

ちなみに2002年公開とあって、シュワルツェネッガーも歳を取り、序盤の妻子を失った後とかは表情やメイクもあってまるで老人のようにやつれています。

復讐に取り付かれた三者

セリーナはウルフが復讐に取り付かれたと評していたが、彼女自身もそうであるのは疑いようがない。腹を痛めて産んだ子どもを奪われる、母親の方が憎しみは強いだろう。事実彼女は逃がすことが出来ないと知るや、子どもすら目的の為の犠牲と割り切っている。二度の起爆は彼女が行っていたし、玩具すら爆弾に作り変えていた辺り、復讐に狂ったとしか言いようがないだろう。

対して、夫のウルフは目的の為の犠牲は開き直った考えをしていたようだが、セリーナが殺された後、爆破を止めようとしていたので、彼女に比べたらまだどこかで止まれた可能性はあったかもしれない。それともセリーナを失ったことで、ようやくブルーワーの気持ちも理解出来たからなのか。

何となくだが、ウルフが先に死んだとしても、セリーナが爆破を止めるとは想像出来ない。なんとしてもブルーワーを殺した上で、爆発させていたように思う。

そして妻子を奪われたブルーワー。復讐の旅の中でも、他人の妻と子を犠牲から遠ざけようとしたし、まだ二人より理性はあったかもしれない。でもブルーワーもウルフへの復讐という目的の為の犠牲として一杯人を死なせたし、最終的に一度は守ったセリーナも復讐の相手と判明して殺すことになった。

挙句、最後にウルフを殺したのが、冒頭でも人を助ける為に使っていた防火斧。よりによってそれがっていうね。これまで人々を守り助ける為に使ってきた知識と技術、そして道具は、人を殺す為という真逆の目的の為に総動員されたのは皮肉でしかありません。

結果として、テロ行為を防ぎアメリカの市民達を大勢守ったわけですが、そんなことがしたかったわけでもなく、妻と子が戻ってくるわけでもない。勿論、自由勲章の為でも無い。ただ復讐の過程でそうなっただけ。

残ったのはウルフとセリーナの子どもだけ、しかもその二人を殺したのは他ならぬブルーワー。あの子どもを引き取って育てるのであろうが、幸せな結末とは到底言えませんね。ブルーワーが何をしたのか知った時、あの子もまた復讐の連鎖に飲まれるのか?未来を予想せずにはいられません。

復讐の道を歩んで、止まることは容易ではない

目的の為の仕方が無い犠牲、というのがコラテラル・ダメージですが、そのタイトル名の通り、いつもとは違い復讐の連鎖、そこに絡む政治的な目的の犠牲にされそうになるブルーワー等、

かなり重く、虚しい作品である。

お馴染みのドンパチはシュワちゃんがやるものでもないしね。

いつものシュワルツェネッガー映画とは雰囲気がかなり違いますが、復讐の虚しさを描ききった名作だと思います。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

関連記事(一部広告)