Thisコミュニケーション 第46話 VSアンドレア・デ=ルーハ② 感想

11巻も発売ということでセンターカラー。今年最後のThisコミュは、今年最大の衝撃をもたらしてきたと言っても過言ではないでしょう。

アンドレア・デ=ルーハは合理性の獣である

今までのデルウハ殿って最低殿と呼ばれても仕方ない合理的な行動ばかりだったけど、それでも合理性に憑りつかれてはいても人間性を捨てているわけじゃなくて、あくまで合理的な人間の範疇に収まっていた。でも今回のデルウハ殿はなんだ、これ。そりゃ本人だって引くわ。

新章を開始してからずっと引っ張り続けてきたデルウハ殿の失われた記憶、その正体は「壊れた自分の有様と所業」でした。結局の所デルウハ殿が盛大にやらかすことが出来た理由は命の危機で発した「火事場の馬鹿力」だったわけで、言葉にだけすると散々引っ張ってこれかと思いますが、内容があまりにも狂気的で恐怖を感じるものだった。そりゃあハントレス達だってこの恐怖の前には敗北して然るべし。

その表現の為に、漫画でありながら1ページ目から小説の体で進むという構成。正直読む作品を間違えたかと思った。身体能力だけでなく、脳までも限界の壁を超えてしまった結果、デルウハ殿は合理的な判断の為に自己を失い・・・まるで自分の事なのに他人事みたいに淡々と書かれているその所業はまるで人間のものじゃない。合理性を極めた人間が人間性を取っ払い、人間らしさをまるで感じられない合理的にのみ動く化物になっていた。「合理」と書いて「狂気」と読む作品はThisコミュくらいのものだろう。

カラーの水玉コラが一体何の意味があるのかと思いながらも読み進めていたけども、こんなに悍ましい水玉コラは初めて見ましたよ。今までハントレス達の再生における疑問点として敢えて触れていなかった部分をこんな形でお披露目するまで取っておくとは。そして”それ”の処理を伝えるデルウハ殿・・・何で逆さまになってるの?もう人間じゃないよこんなの何だよこの化物・・・

しかも薬を盛られるまでは壊れたまま、合理的に壊れる前の自分を完璧に演じていたってのも余計に怖い。その壊れているかいないかの差で、新所長が尻尾付きに成るのも防げてたみたいだし。どうやってこの化物に気取られずに薬を盛れたの所長?スゲェな所長!?

「時々メモにある」が始まった理由も、自分達がこの化物を産んでしまった罪悪感と、カメラに焼き付いた映像ではあくまで場面しか見れない為にデルウハ殿の内面までは分からなかったから、デルウハ殿が心を痛めながら合理的に自分達を頃していたという思い込み・・・だからデルウハ殿を情で絆せると考えてたと。何もかもが繋がった。そしてハントレス達はケーキを食う時も、壊れたことを思い出した今でもデルウハ殿のことをそう思ってるわけか。

で、ここから自力で再び壊れて、今度は五体満足で合理性の化物と化したデルウハ殿とハントレス達との戦いの開始か。あと残り3話しかないが、一度は恐怖して負けてるハントレス達が、今度こそ感情で立ち向かわずに戦うことが出来るのか、それとも合理性が再び吞み込んでしまうのか。

前回の戦いの中で、正解を探る為に自分にとっての規範である合理性を捨てた結果、合理性の獣へ再び行き着くというのが何とも言えない。アンドレア・デ=ルーハから合理性を切り離すことは不可能なんだなぁ。

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Thisコミュニケーション 11

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