ジークアクスが終わりましたが間違いなくマチュの物語でした


まさか本当に全12話、1クールで終わるとは思わなかったなぁジークアクス・・・とにかく宇宙世紀のガンダムを知ってる人間を毎話釘付けにして話題性を途切れさせないまま、スタジオカラーが自分たちのやりたいこともやり尽くしたみたいな感じの作品だった。

終盤まで見た後だと、あれだけ見慣れたはずのオリジナルのガンダムが異物にしか見えないんだから脳がバグる。しかも巨大化て。何て言うか、こっちに毎ターン大ダメージ&気絶を与えてきて、正気に戻る前に走り去っていったような、盛大にやり逃げされたような感じ。それでも全12話で見事に余韻の残る終わり方をしたから凄いわ。ライブ感に関してはめちゃくちゃ強かった。

そして最終話の前というタイミングで劇場でのビギニング再上映。また資料が貰えるということで観てきた。やはり劇場のスクリーンと音響で体感するガンダムは良いものだ。改めて観ると、やっぱり「もうどうなってもいいや」を挿入歌に使ってから「Plazma」をED曲として流す3話の締め方は圧倒的にこちらの方が良いなぁ。

さて、数えきれないほどの人が数えきれないくらい感想や考察を書いているだろうし、自分は少しだけ。ジークアクスでやりたかったことの一つは、「自身もMSも頃し合いの道具にしないニュータイプ」だったのかなぁと思う。

7話終了の時点で大人組と子ども組が交わり、マチュとニャアンは大人達の世界に巻き込まれたとは書いていたのですが、マチュに関しては思い返すと、ソドンに来てからは一度もジオンの制服を着ていないし、おじさんと訓練をする以外は基本的に営倉暮らしでソドンクルーに何かしら協力したわけでもない。ソドンに行ってからもずーっと民間人。

そんでもって、MS戦も初陣が軍警をやっつけて、以後はクランバトルと軍警から逃げただけ。ギャン部隊の包囲からもすぐ逃げて、ニャアンとこそ最初はガチにやり合ったけど、それもすぐ中断したし。

シュウジ戦に至るまで誰も頃さなかったおかけで、マチュにとってのMS戦は「頭部を破壊した時点で決着する」ものという認識のままだった。宇宙世紀の85年を舞台にして、MS戦が頃しあいじゃない主人公なんてやれるとは。

シュウジもまた同じ認識だったからこそ、巨大ガンダムが頭を斬られた時点で最終戦は決着した。前半のクランバトルが冗長、いらないという意見もあるかもだけど、あれが無ければこの決着は出来ない。マチュを人頃しにしないラストの為にはむしろ必須事項だった。

一年戦争ifのその後として大仰に色んなキャラやMSを出したりララァのせいだったりしたけど、それはあくまでマチュ視点の物語の盛大な肉付けでしかなく、「マチュを戦争に参加させず、人頃しにもしない」こと、そして大人達の思惑に巻き込まれたように見えて「最初から最後までマチュシュウジニャアンの3人が主役の物語」であることは一貫していた。

それをたった12話で綺麗に終わらせた本作は、毎週のライブ感を抜きにしても非常に良い作品であったと思います。

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