映画熱というのは、一度付くとすぐには消せないものだ。というわけで、返却してすぐにまた別のシュワ映画を借りました。
今回借りたのは「シックス・デイ」。タイトルの由来は神の天地創造で、「神が6日目に人を作った」とされる話が元になっています。2人のシュワちゃんが共闘するという敵さんがお気の毒に思う映画です。
「少しだけ」の近未来感が実に良い
本作は2000年に公開された映画ですが、舞台は2010年、当時の少しだけ近未来。車の自動操縦は勿論のこと、DNA認証やモバイル桿によるヘリの片手での遠隔操作、ホログラム彼女や光線銃が当たり前の世界。
ドラえもんの未来の世界とは違い、本当に「少しだけ」先の未来の様子が2017年の今でも非現実的でありながら現実味のある世界観となっていて個人的に非常に好印象な設定でした。勿論これらは殆ど死に設定とはならず、要所要所で重要になってきます。
そして本作で最も重要なのが「クローン」。もはや動物のクローンは当たり前のように作られており、ペットのクローンが大人気。反対の声も多く上がる中、クローン産業が飛躍的な発展を遂げています。
とはいえ、人間のクローン作製は公には本編開始の前に失敗しており、その後に「6d法」が作られ、人間のクローンは作製を禁止、人権は無く発覚=処分となりクローン人間は生きられない世界です。
が・・・
俺がお前で、お前が俺で~♪
本作でシュワちゃんが演じるのは、ヘリ会社の運営者兼パイロットであるアダム・ギブソン。この話の内容でアダム、間違いなく元ネタはアダムとイヴですね。
政財界の大物マイケル・ドラッカーをヘリで送ることになっていたアダムですが、とある理由で相棒のハンクと運転を交代。それが切欠となりアダムのクローンが作られ、とんでもない事態に巻き込まれていきます。
後半、家族が連れ去られたのを機に2人のアダムは邂逅し、協力することに。自然の摂理を歪めるクローンに否定的なアダムと、自分がクローンだと知らずに終盤まで動いていたもう一人のアダム。お互いがお互いに影響を受けた末に別れていくラストは必見です。
恐ろしいほどクローンの設定を活かしている
本作におけるクローンは設定が非常に濃く、
・簡単な方法でDNAや記憶を採取可能
・採取した記憶はその時々で保存可能
・2時間もあればクローン人間は作れる
と、もはや設備と金さえ整っていれば本人と何ら変わらないクローン人間を容易に作り出すことが出来る世界です。その為、作中でも刺客が何度か死にますが記憶も地続きに復活してくるという恐ろしい場面も見られます。
しかもドラッカーは自身の立場を使い、これまでに作られた人間のクローンはわざと短命にすることで他者の命を握り、文字通り「神」になろうとしていました。最も生々しく恐ろしいと感じたのは、殺したウィアー博士も亡くなったばかりの博士の妻も、それ以前の記憶を入れて蘇らせることで、博士が妻の死ぬ前に交わした「クローンを作らない、研究を止める」という約束すら忘れさせようとしたこと。正に人の命を掌の上で転がしています。
しかしそんなドラッカーも、自分が瀕死となる緊急の事態になって未成熟のまま誕生した自分のクローンと対面。目の前のクローンは記憶は地続きで、客観的に見れば同一人物だが主観的に見れば自分ではない。オリジナルとクローンは別人なのです。クローンとして蘇るから死すら怖くないかのように振舞っていたドラッカーも、自らに継続性の問題が振りかかったことで、死の間際に認識を改めさせられたのかもしれませんね。
その一方で、主人公であるアダムは事件の後、自分のクローンを紛れも無いもう一人の自分であると肯定し、クローンのアダムもまた、自分は妻と娘の家族であることを心に刻み込んで別れました。作中ではアダムとドラッカーの2人が自分のクローンと対面していますが、その両者の在り方と結末は尽く異なっていましたね。
クローンに否定的なアダム、一度だけクローンとして生き返ったものの長く生きることを望まないウィアー博士の妻、反対派を黙らせる為のドラッカーの演説等、クローン人間に対する否定的な考えと好意的な考え、そのどちらも描写されてどちらの考えが正しい悪いという話でも無い。クローン人間について考えさせられます。
百聞は一見にしかず、とりあえず見て欲しい
正直、あまりに長くなりそうなのである程度端折って書いていますが、個人的には今まで見たシュワ映画の中で一番面白い作品でした。
近未来感、クローンの拘り抜いた設定、クローンの人権、魂という哲学的問題。忘れちゃならないアクションシーン。それらが2時間の範囲に全て収まっており、何度でも見たくなるような映画でした。
12月には初のブルーレイも発売となり、まだまだシュワ人気は衰えないようです。