環境が悪くなるほど幸せの水準も下がる

確定申告期で長らく続いた、地獄の24日間も、残るは4日。何とか終わり切ることが出来そう。次の木曜くらいから、今まで通り18時~19時に帰れるでしょう。

期間限定とはいえ、ブラックに近い状態で働き続けたことで、ブラック企業や長時間残業を当たり前としている人達の感覚が多少なりとも分かった気がします。

置かれた状況が自分の中の常識を形作る

20日から始まり、ちょうど中間である3/5の日曜日だけ休みだったのですが、12連勤した後の、たった一日の休みに喜びを感じてしまいました。

通常であれば、この劣悪な環境に喜びなど感じようもないはず。むしろ、ここまで平然と酷使する経営者に怒りを覚えることでしょう。(重ね重ね、自分は期間限定なので怒りを感じることはありません)

最初の職場でも残業が当たり前で、極稀に定時で帰れることに喜んでいたことを覚えていますが、普通に考えたら定時で帰れるのが当たり前なのに、その当たり前が貴重なことのように思うのは感覚が麻痺していると思います。

というより本来の当たり前が、自分の置かれた環境の当たり前に摩り替わってしまうのでしょう。割とツイッターやニュースのコメントも、定時とか残業削減とか自分には関係ないとか言っている人が多く見られますが、そういう人達にとってはそれが当たり前で、とっくに基準がおかしくなっている。

気づかない内にハードルが下がってませんか?

人は環境が悪くなればなるほど、御褒美と感じる質が低下していくのだと思います。つまり環境が劣悪になればなるほど、幸せの水準も下がっていく。

カイジの地下強制収容施設なんか分かりやすいですよね。あの超劣悪環境の重労働で週休1日。そりゃビールと焼き鳥程度の娯楽でもカイジは堕落しますって。

本当に酷い人の場合、休みはおろか、少しだけ早く帰れるだけでも喜んでいるのではないでしょうか。

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